ロッキー羽田の伝説の試合と言えば

それは誰がなんと言おうと


対 坂口征二戦



えっ



誰も何にも言ってないって(;^_^A







・・・知ってます


承知の上で言ってます


私のブログだからそこは自由(笑)






ロッキー羽田






ロッキー羽田





ロッキー羽田







私が後楽園ホールに通ってた昭和55年頃に全日本プロレスのある一部分を支えていたロッキー羽田




大好きでした



そういえば、前にもブログ書いてます



和製アメリカンドリーム ロッキー羽田



つな、わけで伝説のロッキー羽田対坂口征二戦

オールスター戦

私たち全日本プロレスファンからすれば伝説の試合でしょうけど、新日本プロレスファンからすれば、バカにされた試合かな?



だって、新日本プロレスナンバー2の坂口征二が全日本プロレスのナンバーなんかついてないロッキー羽田とやったんですからね(笑)



しかも、ロッキー羽田ちゃんとロッキーのテーマ曲伝説の入場したのがまた凄い。



試合が試合にならないレベル差も凄い


さっさと終わらせたかった山本小鉄のカウントも超早い


しかも、3カウント前に肩を上げてるのに無視してそのまま3カウント(笑)



坂口征二よりも小鉄の方が怒ってたのかな~



この日の試合で、一般的な伝説の試合は「ジャイアント馬場、アントニオ猪木対アブドーラ ザ ブッチャー、タイガー ジェットシン」なんだろうけど



私、グラハムボネ太郎的には「ロッキー羽田 対 坂口征二」








ロッキー羽田さん、楽しいプロレスありがとうございました



昭和の全日本プロレス万歳



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コメント

参照記事のロッキー羽田の写真
「今大会4連続の参加~体調を整え出直し」って・・・当時ジャイアントマシーンになるか悩んでたのかな?( ´艸`)

ボネ先輩、ドリームマシンは扱わないの?
地味JAM尊さんへ
デカかったもんなぁ、たぶん身長では全日第3位ではなかったかなぁ〜。
ドリームマシンって知らないなぁ。
・・・仕方ないから代わりにミスター桜田でいいですか?
もしくはミスター梅介なら2時間語れるけど
4人写ってるうちの左端も
ロッキーのテーマで6:30に入場してきてたよね。ノアの後見人として結構親父の遺産を使ったらしい・・・リキ・ト〇コとかの売り上げを・・・
地味JAM尊さんへ
テーマ曲は憶えてないけど、出てましたね。
後にはリングアナウンサーをやったりと。
親父が力道山って!
あの頃の全日の後楽園ホールをもう一度見たいなぁ。5階までの階段に並ぶからさ
お待たせ?しました
こんにちは♪

ネット関係に於いて、ロッキー羽田を熱く語るサイトは、世界中でこちらだけと思いますし、その役割の一端を担う私はとても幸せ者だと・・・以下省略(^^;)

まず、お断りしなければならないのは、私は、以前の引越し時にゴング誌やプロレス&ボクシング誌を全て処分しました。
その後買い求めた書籍類も殆ど処分しています。
それは、現在も変わりません。
ですから、倉持氏の本も、現在手元には有りません。
何故処分するのか?
プロレス誌以外の本も買うので、置く場所が無いからです。

ですから、昔ならロッキー羽田に関する資料が見つかったと思いますが、そういう事情ですので、ご理解下さいませ。

坂口戦は、当時竹内氏の8ミリフィルム上映会で見たと思います。
(テレビ放映出来なかったので、竹内氏が、東京・大阪で上映会を開催したのです)
もしこの時、ボディスラムで投げられない(投げさせない?)、坂口征二を投げ飛ばしたら、その後の羽田のレスラー人生は大きく変わっていたかも知れませんね。

少し長い文章になりそうなので、また次回に・・・。
しょうまんさんへ
ロッキー羽田を熱く語るスレはないだろうと思います。
もしみつけたら、それはやっぱり私の昔の記事かも(笑)
年に一回は、ロッキー羽田が噛みつき攻撃をして、それを中学生の私がヤジり、それに対して「いいんだよ、歯がねぇんだから!」というロッキー羽田の返しを書く私
二大巨匠、これにて完結
こんにちは♪

前述しました様に、持っている資料が少ないので、ご存じのエピソードが有れば思い出して頂いて、再度楽しんでもらえれば幸いです。

森岡理右(プロレス関係者) 談
世界オープンタッグ選手権の時、選考委員の中で「幕下の羽田と幕内の天龍を組まして良いものか」という雰囲気になったが、私が二人を強く推薦して出場を決めさせた。

天龍源一郎 談
後楽園でロッキーとシングルで60分やったけど、それ位元気だった。
デビューして三か月でロッキーと組んでアジアタッグに挑戦した時、試合前に「あまり俺にタッチしなくてもいいから、自分の好きにやってよ」と言われたのを覚えています(笑)

性格がいいから、必ず僕のいい所を見せようと考えてタッチしてくれました。
あの大きな体で何でも出来たし、試合も巧かったから。
鶴田が来るまでは良かったんだけどね・・・。
糖尿にならなくて健常でいたら、スターになっていたよ。

グレート・小鹿 談
ロッキーに「花籠部屋で、何を食ってんだ」と訊いたら「お湯の中に卵を三つ入れて、ポン酢で食べているんです」って。
だから「プロレスに来たら、肉が食べれるぞ」と言ったら、相撲を辞めて日本プロレスに来た(笑)

グレート・カブキ 談
ロッキー羽田のリングネームを付けたのは俺なんだよ。
背が高いし、外人みたいな顔をしていたし、丁度映画「ロッキー」が流行っていたから・・・。

渋谷でロッキーが酔っ払いと揉めた時、桜田選手がパーと行って、そいつをバカバカぶん殴ってさ。
その伸びた相手に向かって、ロッキーが「テメェ、この野郎!起きて来い!」って(笑)

桜田一男(ケンドーナガサキ) 談
俺が「逃げろ!」と言ったのに、警察に捕まっちゃってさ。
そのせいで「医者代を払え!」と言われちゃって(笑)
伊藤正男も一緒にいて、パッと逃げたけど、羽田だけ警察に引っ張られたの(笑)

以上、ロッキー羽田にまつわるエピソードを幾つか書かしてもらいました。
身体には恵まれたけど、レスラー人生には恵まれなかったみたいですね。
まあ、こうして思い出してもらえるのは、幸せなんでしょう。

最後に、昭和49年チャンピオンカーニバルのパンフレットに載っていた彼のプロフィールが、中々興味深いですよ。

羽田 光男 191センチ 115キロ
  「和製ロン・フラー」
今年あたりは勝負の年と言えそうだ。
しょうまんさんへ
もう、勘弁してください(笑)
ロッキー羽田らしいエピソード満載でしね。人の良さが出てます。俺が俺がの性格ではなかったようですね。
でも、私は背が高いのがレスラーとしての絶対条件だと思ってますから、その点ではロッキー羽田は一流レスラーです。
それにしても、よくこれだけのネタをご存知ですね。今年は勝負の年になりそうですね!! (何の勝負だ?)
人生、日々勝負!?
こんにちは♪

私にとっても、ミスター林やロッキー羽田という、ある意味貴重なプロレスラーを楽しめました。

和製アメリカンドリームと言うニックネームが付くずっと前に“和製ロン・フラー”というプロレスファンでも余り知らない南部のレスラーの和製版。
彼らしい、レスラー人生だったと思います。

それでは、また会う日まで(^_-)/~~~
しょうまんさんへ
さよならって!?
寂しいから、月に一回はミスター林かロッキー羽田のネタを書こうかな、って言っても、ネタがないんですよね〜。
彼らが現役だった時代に戻って、真剣にプロレスを見てみたいですね。今はプロレスが誠につまらないです。演技ばかりで。
また、遊びに来てくださいね!
全日第3の男
しょうまんさん貴重なロッキー羽田ネタありがとうございました。小鹿談によれば晩年は馬場さんを恨んでいて・・小鹿はおまえにも責任があるだろといったが羽田は聞く耳を持たなかった。それからお葬式にきた馬場さん一行を奥さんがつっぱねようとしたのを小鹿がなだめたとか。
ロッキーは自分が子供のころ持っていたケイブンシャのプロレス大百科では全日第3の男あつかいでしたよ
けんさんへ
しょうまんさんのネタはちゃんと詳細まで抑えていて素晴らしいですよね。
けんさんの持っていた本ではないですが、ロッキー羽田は、間違いなく全日第三の男でしたよ。じゃなきゃ、坂口征二とシングルだなんて。ただ実力が伴わなかったのも事実。馬場さんが冷たいといえば、小鹿さんにはもっと冷たかったんじゃないですかね。最後まで日プロにいたわけだし。そう思うと、ミスター林への厚い待遇はなんなんでしょうかね(笑) わかりません。まさか馬場さんもキ◯タマを掴まれてたりして・・・

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